動物が行う「モックチャージ(模擬突進)」は、実際に攻撃せず相手を威嚇したり状況を探るための行動です。
この行動は人間にも見られます。議論や交渉の場で強気な姿勢を示しながら、実際には相手を傷つけず、駆け引きの一環として使われる態度──
それが“人間版モックチャージ”です。
「人間のモックチャージ」を使うか、やめるか——数値で判断する実践ガイド

人間版モックチャージ(強気な姿勢で牽制しつつ実際の攻撃は控える防衛行動)は、衝突コストを避けながら情報を得て主導権を取るための戦略です。
しかし、頻発や過度の威嚇は信頼毀損を招き、長期関係では逆効果になりがち。ここでは、直感ではなく数値の物差しで使いどきを見極め、最小のリスクで最大の効果を得る方法をまとめます。
簡易数値モデル:使う基準は「期待値がプラスか」
モックチャージの期待値(EV)を、次の3要素で近似します。
- B(Benefit):相手の譲歩や情報開示で得られる便益(例:値引き、納期短縮、合意形成の前進)
- C(Cost):失敗時のコスト(場の緊張高騰、交渉決裂リスク、時間ロス)
- R(Reputation):信頼低下の将来コスト(関係の質の低下、再交渉の難化)
成功確率を p とすると、
EV = p × B − (1 − p) × C − R
したがって、用いる条件は
p > (C + R) / (B + C) となります。
- 例:B=8、C=5、R=2 → 閾値は (5+2)/(8+5)=7/13≈0.538。
自分の読みで pが0.60 以上見込めるなら実行価値あり、0.50 程度なら見送りが賢明。
成功確率pを高め、CとRを下げる実務レバー
- 強度は“相手の想定ライン+10〜15%”に抑える
初手から最大主張を叩きつけるとC(反発コスト)とR(信頼損耗)が膨らむ。やや強めのアンカーで撤退余地を残すと、失敗時のCが下がりpも上がる。
- 根拠の提示で“はったり”度を下げる
事実・データ・前例を1〜2点添えるだけで、相手の「虚勢では?」という読みを弱め、pが上昇。
- 時間操作:20〜30分のクールダウン
その場の決裂(Cの急騰)を回避。短時間の保留はRにも効く。
- 頻度制限:1交渉1回まで
同じ相手に繰り返すと信頼は毎回15%ずつ減衰すると仮定すると(例:0.85^3≈0.61)、3回で初期信頼の約4割損失。長期関係では致命的。
「短期戦で利、長期戦で不利」を数値で腑に落とす
- 短期ワンショット型(単発取引)
Rが小さい(関係継続コストが低い)ため、Bが中〜大、Cが中ならEVはプラスに寄りやすい。
- 長期関係型(重要顧客・社内チーム)
Rが相対的に大きく、閾値 p > (C + R)/(B + C) が上がる。同じ強度でも許容されにくく、“効いた”実感があっても再現性は落ちる。
実務チェック(小見出し最少・3問だけ)
- 成功確率pを数値化できているか?
相手のBATNA(代替案)・制約・意思決定者・直近のインセンティブが7割方把握できていれば、pは0.6超を見込みやすい。
- Rを数で意識しているか?
信頼低下による再交渉コストを次回の工数+メール往復回数+意思決定階層で見積もる(例:会議1回=2h×4名=8h)。RがBの1/3を超えるなら慎重に。
- 撤退路は設計済みか?
「本件この水準で合えば即決/難しければ○案で折衷」の二段構えを準備。撤退一句があるだけでCが目に見えて下がる。
伝え方のフォーマット(短く、強く、戻れる)
- 主張→根拠→余地 の順で一息に伝える。
例:「本件は価格Aを希望です(主張)。需要急増と在庫制約が理由です(根拠)。もし難しければ分納+A+αでの折衷をご提案します(余地)。」
この並びは、威嚇一辺倒に見えず“戦略的な防衛行動”として相手に受け取られやすく、p↑、C↓、R↓に同時作用します。
結論:モックチャージは「強く出る技」ではなく、EVをプラスにするための条件付きツールです。
- 閾値 p > (C + R)/(B + C) を超えられる準備(情報・根拠・撤退路)があるときだけ使う。
- 強度+10〜15%・頻度1回・クールダウン20〜30分を守れば、短期の牽制効果を得つつ長期の信頼を守れる。
- 逆に、pが読めない/Rが高い関係では、誠実なロジック提示+代替案が最適解。
この数式と最小ルールをポケットに入れておけば、モックチャージは“諸刃の剣”から“精密ドライバー”へと姿を変えます。


