現代の日本社会では、「主体性を持って生きること」が多くの場面で求められるようになっています。就職活動や企業の人材育成、学校教育においても、「自ら考えて行動できる人材」が理想とされ、それが社会のキーワードにもなりつつあります。
しかし、その背景には「誰かに決められたレールの上を進む」ことに慣れた日本的な文化とのギャップが存在しているようにも感じます。
たとえば、会社では「自分で考えて動け」と言われる一方で、実際に提案や行動を起こすと「それはまだ早い」と抑えられてしまうことがあります。学校でも「考える力を育てる教育」が叫ばれるものの、現場では依然として「正解を求める授業」が主流という現実があります。
こうした状況の中で、「エージェンシー=自発的に行動し、社会に影響を与える能力」という概念が、私たちにとって本当に馴染むのかと疑問に思う方も多いのではないでしょうか。
そもそも、自分で目標を立て、それを実現するために責任ある行動をとるということは、簡単なようでいてとても難しいことです。仕事で忙殺され、家庭では時間に追われ、社会の枠組みの中で自分の意志を保ち続けるのは容易ではありません。
「私は誰かの期待に応えるばかりで、自分で自分を動かしている感覚がない」と感じたことはありませんか?
また、他人や社会に影響を与える力など、自分にはないと思い込んでいる人も少なくないでしょう。でも本当にそうでしょうか? 小さな一歩が周囲の空気を変え、チームの方向性を動かし、最終的には組織や社会を変えていくということが、現実に起こり得るのです。
「目標を設定し、振り返りながら責任ある行動をとる能力」がどのように個人の中に芽生え、それが企業や教育現場、そして社会全体にどのような変化をもたらしているのかを、探ってみましょう。
目標に向かう力が社会に影響を与える時代へ

「エージェンシー(agency)」という概念が注目される背景には、私たちが直面している社会や職場、教育現場の急速な変化があります。AIや自動化の進展、グローバル化、社会課題の複雑化により、「誰かの指示を待って動く」だけでは通用しなくなりました。
今、必要とされているのは、自分で目標を設定し、状況を分析し、自発的に行動を起こす力です。さらに、その行動が周囲に影響を与え、社会にポジティブな波紋を広げていく能力、つまりエージェンシーこそが、時代に適応するカギとなっているのです。

このエージェンシーは、単なるやる気や自主性とは異なり、「目標を設定し、その達成に向けて振り返りを重ねながら、責任を持って行動する力」です。こうした行動は、個人が主導権を握り、自らの価値観やビジョンに基づいて行動を選び取ることで初めて成立します。
加えて、その行動が「他者や社会にどのような影響を与えるか」までを意識する必要があります。
Z世代(1990年代後半~2010年代前半生まれ)を中心に、価値観は大きく変わりつつあります。調査会社ギャラップの2023年レポートでは、「自分の仕事が社会に与える影響を重視する」と回答したZ世代は全体の73%に達しており、これはミレニアル世代(68%)よりも高い数値です。
つまり、若年層ほど「意味ある目標」に動機づけられ、行動を選択していることが明らかになっています。
この変化は、個人のSNS利用にも表れています。InstagramやX(旧Twitter)、TikTokなどのプラットフォームでは、自分の挑戦や社会活動を発信することで、周囲に影響を与える投稿が好まれています。
たとえば、ある大学生が「地元の農業の課題に取り組むプロジェクト」を紹介する動画は数万回再生され、他の若者にも「自分も何か行動を起こそう」という機運を生んでいます。エージェンシーの高い行動が共感を生み、それが次の行動を誘発する「影響の連鎖」が可視化されているのです。
一方、ビジネス界に目を向けても、エージェンシーは今後の組織運営において不可欠な能力とされています。2024年に発表されたLinkedInのグローバルワークプレイスレポートでは、企業が今後5年間で重視するスキルの第2位に「自己主導的行動力(Self-driven Initiative)」がランクインしており、これは「チームワーク」「問題解決能力」を上回る注目度となっています。
企業が変化の激しい市場環境を乗り切るためには、社員一人ひとりが自律的に判断し、行動する力が求められていることが、このデータから読み取れます。
また、「目標に向かって自分を動かす力」は、ただの達成志向とは異なり、内省(リフレクション)と責任意識を伴うことで初めてエージェンシーとなります。Googleトレンドのデータを参照すると、「目標設定」「振り返り」「自己効力感」といった検索キーワードは、1月(新年の抱負)、3月(年度末)、9月(下半期の開始)など、節目ごとに検索数が急増する傾向にあります。
人々が「自分の行動を見直し、新たな目標を立てる」時期に、こうしたキーワードが多く検索されることから、社会全体に「目標に向かう力」の重要性が浸透し始めていると読み取れます。
さらに重要なのは、エージェンシーは天性の資質ではなく、育てることができるという点です。教育現場や職場、家庭の中で、目標を立て、それに取り組み、結果を振り返って改善するという循環を繰り返すことで、人は「自分の意思で世界を動かす感覚」を育んでいくのです。
これは「自己効力感(self-efficacy)」という心理的資源の強化にもつながります。バンデューラの理論によれば、自己効力感の高い人は困難な課題にも粘り強く取り組む傾向があり、失敗を成長の機会と捉える柔軟性も持ち合わせています。
つまり、エージェンシーとは、「目標を達成する力」ではなく、「目標を持って行動し、その結果を社会に結びつけて考える力」であり、それは教育やキャリア、社会活動など、あらゆる場面で求められる能力なのです。今後の社会では、指示通りに動く力よりも、「自分の判断で社会に働きかける力」がより一層評価されるようになるでしょう。
そのためには、私たち一人ひとりがエージェンシーの本質を理解し、日常の中で意識的に育てていくことが必要です。
企業の中で求められる「エージェンシー」の実装法

近年、企業経営において「エージェンシー」を組織にどう取り入れるかが大きな課題となっています。変化の激しいビジネス環境では、従業員が指示待ちではなく、自ら目標を設定し、行動を起こし、結果を振り返りながら改善していく力が不可欠です。
こうした力は、個々の従業員のパフォーマンスを引き上げるだけでなく、企業全体の変革力や適応力を高める原動力となります。
では、企業はどのようにしてエージェンシーを従業員に根付かせることができるのでしょうか。まず前提として、「エージェンシーの高い人材」は単に能力の高い個人ではありません。彼らは「自分の仕事が何に貢献しているか」を明確に理解し、その目的に自発的にコミットする力を持っています。
実際、ギャラップ社の「Employee Engagement 2023」調査によれば、「自分の仕事が組織の目標と結びついている」と感じる従業員は、そうでない従業員に比べてエンゲージメントスコアが約3倍高く、生産性も20%以上高いという結果が出ています。
このようなエージェンシーを育てるためには、まず企業が「目標の透明化」を図る必要があります。つまり、経営層が掲げるミッション・ビジョンを現場レベルにまで具体化し、誰もが自分の業務とリンクさせて考えられる状態をつくるのです。
このプロセスを支援する手法として注目されているのが「OKR(Objectives and Key Results)」や「ミッションドリブン経営」です。
OKRは個人やチームが目標とその達成指標を明確に定義することで、日々の行動を戦略と接続させる方法です。GoogleやAdobeなどの先進企業が導入して成果を上げていることで広まりました。
また、従業員が自らの行動に責任を持つ環境づくりも欠かせません。たとえば、ある大手IT企業では、週次で「リフレクション・ミーティング」を導入し、各自が1週間の成果や課題、気づきを共有しています。
ここで重視されるのは「うまくいったこと」だけではなく、「うまくいかなかったこと」や「次にどうするか」といった自己省察の質です。この習慣が続くことで、従業員の自己効力感が高まり、自然とエージェンシーも育まれていきます。
また、制度的な支援として「裁量権の拡大」も効果的です。従業員が自ら判断し、責任を持って仕事を進める余地を与えることで、主体性が生まれます。パナソニックの一部事業部では「マイ・ジョブ・ディスクリプション」と呼ばれる取り組みを導入し、各従業員が自ら職務内容を記述・提案する制度を展開しています。
このような取り組みにより、「与えられた仕事をこなす」から「自ら仕事を設計する」へと、意識が変化していきます。
さらに、マネジメント層の役割も再定義する必要があります。従来のトップダウン型ではなく、コーチ型マネジメントにシフトすることがエージェンシー醸成の鍵です。経済産業省の「人材版伊藤レポート2.0」でも、マネージャーの役割は「目標設定と評価の管理者」から「成長と対話の支援者」へと変化すべきと明言されています。
現場で自発的な行動を引き出すには、「問いかけ」や「傾聴」がマネジメントの中核になるのです。
加えて、企業文化として「心理的安全性」を高めることも不可欠です。Googleの調査「Project Aristotle」では、チームの生産性を左右する最大の要因として、心理的安全性が挙げられています。失敗や意見の違いを恐れず発言できる環境があってこそ、従業員は自ら考え、行動することができます。
たとえば、トヨタの「カイゼン活動」では、現場の従業員が自由に改善提案を行い、1人あたり年間で平均12件以上の提案がなされるという驚くべき成果を上げています。これは、安心して意見を出せる文化が存在しているからこそ成立している取り組みです。
また、エージェンシーは一部のリーダー層だけに求められるのではなく、すべての職階において必要とされます。特に中堅層は、現場と経営の中間に位置し、組織の方向性を現実に落とし込む役割を担っています。中堅層にエージェンシーを根付かせることは、組織全体の変革スピードを高めるうえで不可欠です。
結局のところ、「エージェンシーの実装」とは、単なる個人任せの能力開発ではなく、組織全体の設計、制度、マネジメント、文化が連動して機能する必要があります。目標の共有と見える化、行動を振り返る習慣、自己決定の自由度、そして心理的安全性という4つの要素が整えば、企業はエージェンシーを推進する強力な土台を手に入れることができます。
これにより、従業員一人ひとりが自らの仕事に意義を見出し、内発的動機から動き出す「活きた組織」へと進化するのです。
教育現場で育てる「社会を動かす学び」の真価と実践

近年、教育界では「主体的・対話的で深い学び」が重要なキーワードとなっています。これは、単に知識を得るだけでなく、子どもたちが自ら問いを立て、他者と意見を交わし、現実社会に働きかける力を育てることを意味します。
こうした学びの中核にあるのが、エージェンシーの育成です。つまり、自分の学びや行動が社会に意味を持ち、変化を生み出せるという実感を持たせることが、これからの教育に求められているのです。
日本の教育政策においてもこの方向性は明確で、文部科学省が推進する「新学習指導要領」では、「生きる力」の育成として、「知識・技能」「思考力・判断力・表現力」「学びに向かう力・人間性」の三要素が掲げられています。
とくに「学びに向かう力」は、自律的な学びと社会参画の意識を含むものとされており、これはまさにエージェンシーの概念と重なります。
では、教育現場ではどのような実践が行われているのでしょうか。たとえば、東京都品川区では、小学生を対象にした「課題解決型学習(PBL)」が導入されています。この取り組みでは、児童が地域の課題を見つけ、住民や行政と対話をしながら解決策を探るという学習が進められています。
ある小学校では、地元商店街の活性化をテーマにプロジェクトを実施し、実際にチラシを作成して配布したり、SNSでの発信を試みたりすることで、児童が社会とリアルにつながる体験を得ています。
こうしたプロジェクトは、子どもたちの学習意欲を大きく引き上げるだけでなく、「自分のアイデアが人に届いた」「社会の一部として行動できた」という成功体験を与えます。
教育系NPOの「Learning by Giving」によると、地域連携型学習に参加した生徒の75%が「学ぶことの意味が分かった」と回答し、60%が「将来やりたいことが見えてきた」と述べています。これは、単なる成績向上では測れない、内面的な変化を示す重要な数値です。
一方で、教師側にも変革が求められます。従来のように「教える」主体から、「学びをデザインする」伴走者へと役割をシフトしなければなりません。特にPBL型の授業では、生徒の探究の方向に柔軟に対応しながら、適切な問いかけを行い、思考を深める支援をする必要があります。
これは指導者自身のエージェンシー、すなわち教育観や指導の自由度に責任を持ち、創造的に実践する力が問われているとも言えるでしょう。
また、高等教育機関においてもエージェンシー育成の動きが広がっています。東京大学では、社会課題解決をテーマにした学生主体の「フィールドワーク型授業」が増加し、実際に政策提言を行ったり、地域でイベントを企画したりする事例が増えています。
2022年度には同大の教養学部で実施されたフィールドプロジェクトにおいて、受講生の90%以上が「自分の学びが社会とつながった」と実感したと回答しています。
このように、教育現場で育つ「社会を動かす学び」は、エージェンシーを通じて子どもたちや若者に「自分の行動が社会に影響を与えることができる」という自己効力感を植え付けることを目指しています。これは、単に知識やスキルを身につけること以上に、未来を自らの手で切り拓こうとする力を育てる教育の本質と言えるでしょう。
学ぶことが「社会につながること」だと子どもたちが実感したとき、学びは単なる受動的な作業ではなく、未来を創る力に変わります。
今後の教育は、知識の習得と同時に「行動する力」──すなわちエージェンシーを育てる場として、より現実社会との接点を持つ構造へと進化していく必要があるのです。
個人の行動が幸福とつながる未来を実感するために

「幸福」は誰にとっても普遍的な願いでありながら、その実現方法は人によって異なります。しかし、近年の心理学や社会学、経済学の研究では、個人の「行動」が幸福に大きく影響していることが明らかになってきました。
特に「自ら目標を設定し、振り返りながら責任ある行動をとる能力(=エージェンシー)」は、長期的な幸福感や人生の満足度を高める要素として注目されています。
例えば、アメリカの心理学者ソニア・リュボミアスキー氏の研究によると、幸福の決定要因は「遺伝的要因50%、生活環境10%、意図的な行動40%」とされています。
この「意図的な行動」に含まれるのが、まさにエージェンシー的な行動なのです。自ら考え、行動し、結果を評価して次に活かすというプロセスが、自己効力感を高め、ポジティブな感情を生み出します。
また、2023年に内閣府が公表した「国民生活に関する世論調査」では、「自分の意思で日常の行動を決められていると感じる人」は、そうでない人に比べて「日々の生活に満足している」と回答する割合が1.8倍も高いことがわかっています。
つまり、自律的な行動は単なるスキルではなく、幸福という感情の源泉でもあるのです。
ここで重要になるのは、エージェンシーは大きな行動や目立った成果だけでなく、「日々の小さな選択や習慣」でも発揮できるという点です。たとえば、「今日は少しだけ早起きして散歩しよう」と決めて実行する、「いつもより一歩踏み込んで同僚に話しかけてみる」といった行動も、主体的な選択の一部です。
こうした行動の積み重ねが、「自分は自分の人生を動かしている」という実感を生み、それが幸福感へとつながっていきます。
さらに、社会的影響力の観点からも、エージェンシーは幸福と密接に結びついています。自分の行動が周囲にポジティブな影響を与えていると実感できるとき、人は自己肯定感や連帯感を強く感じます。
たとえば、チーム内で他者をサポートしたり、コミュニティ活動に参加して貢献するなどの行動が、結果として自分の幸福感を引き上げるのです。
このように、幸福は偶然の産物ではなく、行動によって育まれるものです。エージェンシーは、目標を持ち、計画的に、かつ柔軟に行動することで、自分自身の価値を見出し、より良い人生を築くための鍵となります。
たとえ社会の変化に翻弄される時代であっても、自らの選択と行動で人生を切り拓く力を持っている人は、確かな幸福をつかむことができるのです。
日常の一つひとつの選択が、自分自身の幸福だけでなく、周囲の人々にも良い影響を与えるものになり得る──。そう気づいたとき、「どうせ自分には無理」と思っていた過去から抜け出し、「自分にも何かできる」という実感が芽生えてきます。
それこそが、私たちがこの先の未来で最も必要としているエージェンシーの姿かもしれません。
Q & A
Q1. 「目標を設定し、振り返りながら責任ある行動をとる能力」は、ビジネスの現場でなぜ重要なのですか?
A1.
ビジネスの現場では、自律的な行動や結果責任がますます求められています。自ら目標を設定し、定期的に振り返って改善する姿勢を持つ人材は、問題解決力やリーダーシップを発揮しやすくなります。また、従業員が自分の目標と会社のビジョンを重ね合わせて行動することで、エンゲージメントが向上し、生産性の高い組織文化が育ちます。
Q2. 従業員の主体性やエンゲージメントを高めるには、企業はどのような取り組みをすべきですか?
A2.
従業員の主体性を高めるには、目標設定の裁量を与えたり、失敗を許容する心理的安全性のある環境を整えたりすることが有効です。たとえばOKR(Objectives and Key Results)制度を導入し、各自の行動と会社の目標をリンクさせることは、責任感とやりがいを引き出す有効な方法です。また、フィードバックを定期的に行い、振り返りの文化を根づかせることも重要です。
Q3. 教育現場で「主体的・対話的で深い学び」を実現するには、どのような工夫が必要ですか?
A3.
生徒が自ら問いを立て、他者と対話しながら答えを見つけていくプロジェクト型学習(PBL)が有効です。実社会の課題に取り組むことで、「学び」が現実とつながっているという実感を得られ、内発的動機が高まります。また、教員が「教える存在」から「伴走する存在」に変わり、生徒の探究を支援することが、深い学びの促進に不可欠です。こうした実践は、生徒のエージェンシーを自然と育てていきます。
▼今回の記事を作成するにあたり、以下のサイト様の記事を参考にしました。



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