高齢のご家族が手術を受けると聞いたとき、誰もが不安になります。「手術はうまくいくだろうか」「麻酔は大丈夫だろうか」——そうした心配は当然ですが、実は手術後の“夜”に起こる「見えない問題」に、多くの人が気づいていません。それが「術後不眠」と「せん妄」です。
全身麻酔の影響や病院という慣れない環境のなかで、多くの高齢患者が手術当日の夜から強い不眠を訴えます。「眠れなかった」「夜中に何度も目が覚めた」「自分がどこにいるのかわからなくなった」——これらは、実際に高齢者本人が経験しているリアルな声です。そしてその睡眠障害は、やがて「術後せん妄」へとつながり、混乱・錯乱・幻覚といった症状を引き起こす原因にもなりかねません。
せん妄が発生すると、回復が遅れ、離床リハビリも進まず、結果として入院期間が延びてしまう。家族や本人にとっても大きなストレスとなり、「こんなはずではなかった」と感じる事態に陥ることもあります。
けれど、同じ手術、同じような体力や年齢であっても、ぐっすり眠れて、翌朝には自分の足で歩き始められる高齢者もいます。この違いは一体どこから生まれるのでしょうか?なぜ同じ条件でも、「眠れる人」と「眠れない人」が出てしまうのでしょうか?
あなたの身近な人が手術を受けるとしたら、どちらの回復パターンを望みますか?そして、その違いを決めている“意外な要因”に、私たちはどのように向き合うべきなのでしょうか。
高齢者の手術後に見られる睡眠障害とせん妄の関係

手術を受けた高齢者が最初に直面する問題の一つに「睡眠障害」があります。特に全身麻酔を使った手術では、手術当日の夜から不眠や浅い眠り、頻繁な目覚め、悪夢などの症状が現れやすいです。これらの睡眠障害は、翌日の全身の状態や回復に影響を与えるだけでなく、「術後せん妄」と呼ばれる深刻な精神的な問題を引き起こすリスクを高めるため、重要な問題となっています。
高齢者における術後不眠の実態
高齢者は若い人に比べてもともと睡眠の質が低下していることが多いです。深いノンレム睡眠の時間は年齢と共に短くなり、夜中に目が覚める回数が増えます。また、高齢になると体内時計が乱れやすく、昼夜が逆転することもあります。
このような状況に「手術」という身体的・精神的ストレスが加わると、夜の睡眠が大きく乱れます。特に手術後の1~2日は、麻酔薬の影響や痛み、点滴やカテーテルの不快感、夜間の看護対応などによって睡眠が妨げられ、「眠れない」と訴える患者が多くなります。
研究によると、手術後1日目の夜に不眠を訴えた高齢患者は、手術を受けた高齢者全体の45〜70%に達するとされています。この中で約30%が「全く眠れなかった」と答え、夜中に5回以上目が覚めた患者も少なくありません。
術後せん妄との関連性
このような睡眠障害は一時的な不快感にとどまらず、「術後せん妄」の重要な前触れや原因となることがあります。せん妄は、注意力の低下や意識の変動、幻覚、昼夜の見当識障害などの精神的な症状を伴う急性の意識障害です。特に高齢者に多く、術後せん妄の発生率は文献によって15%〜53%と幅広いですが、多くの医療従事者が日常的に直面しています。
せん妄が発症すると、患者のリハビリが遅れ、入院期間が延びることになります。ある日本の大規模研究では、術後せん妄を発症した高齢者の平均入院期間が、そうでない群に比べて4.6日長かったと報告されています。また、せん妄が起こると転倒や自己抜管などのリスク行動が増え、重篤な合併症を引き起こす可能性もあります。
せん妄の発症メカニズムはまだ完全には解明されていませんが、睡眠障害、特にノンレム睡眠の減少が脳内の神経伝達物質のバランスに悪影響を与え、脳の興奮を高めることが関係していると考えられています。実際、術後に熟睡した患者と不眠の患者を比較した研究では、不眠の患者で翌日以降のせん妄発症率が有意に高かったことが示されています。
睡眠障害が病棟業務に与える影響
睡眠障害は患者個人だけでなく、病棟全体の運営にも影響を与えます。夜に眠れない高齢患者は、ナースコールを頻繁に押したり、ベッドから出ようとしたりするため、看護スタッフは常に警戒が必要になります。特にせん妄を伴う場合、予測できない行動や興奮状態により、夜勤者の負担が大きくなり、他の患者への対応にも影響が出ます。
また、家族にとっても負担になります。面会時に患者が不眠や錯乱状態であるのを見ることで、術後の経過に対する不安が増し、医療従事者への信頼が低下することもあります。これは医療側にとっても心理的な負担となります。
睡眠薬使用の限界と課題
夜間の不眠に対しては睡眠導入剤や鎮静薬が使われることがありますが、高齢者では副作用や過鎮静、転倒リスクが高いため、慎重な対応が必要です。特にベンゾジアゼピン系薬剤はせん妄のリスクを高める可能性があり、睡眠改善のために使った結果、逆に状態が悪化することもあります。
一部の研究では、非ベンゾジアゼピン系薬剤やメラトニン作動薬がせん妄リスクを抑える可能性が示唆されていますが、全ての患者に安全かつ効果的とは言えません。また、薬物療法だけでは根本的な睡眠リズムや環境要因の改善にはつながりません。
環境要因としての病室の影響
術後の睡眠障害を考える上で、病室の環境も重要です。夜間の看護対応による照明、ナースコールの音、他の患者のいびき、モニターの音、頻繁なバイタルチェックなどが、高齢者の睡眠には不利な条件を作り出しています。高齢者はこうした環境の騒音に敏感で、これが中途覚醒や睡眠の質の低下を引き起こします。
研究によると、病棟の夜間の騒音は平均で45〜60デシベルに達し、これは家庭でのテレビ音や交通量の多い道路と同程度の騒音レベルです。このレベルの騒音では健康な成人でも睡眠の質が影響を受けるため、特に聴覚が敏感な高齢者にとっては深刻な問題です。
このように、高齢者における術後の睡眠障害は多くの要因が絡み合って発生し、それが術後せん妄という重大な合併症を引き起こす可能性があります。患者本人の苦痛だけでなく、医療現場や家族の負担にもつながるため、単なる「眠れない問題」として軽視するべきではありません。さらに、薬物による対処だけでは不十分で、心理的、環境的、身体的な要因を総合的に評価し、幅広い対策を講じることが求められています。
高齢者の手術後に見られる睡眠の違いの理由

全身麻酔を受けて同じ手術をした高齢者でも、術後の夜に「ぐっすり眠れた」と感じる人と「全く眠れなかった」と訴える人がいます。この現象は、医療現場でよく見られるもので、身体的な条件がほぼ同じでも、なぜこんなに睡眠の質に差が出るのでしょうか。この疑問には、身体的な状態だけでは説明できない複雑な個別要因が関係しています。
ストレスの感じ方と行動の違い
まず注目すべきは、手術に対する「ストレスの感じ方」と「行動の傾向」です。患者が手術や入院にどれだけストレスを感じているかには個人差があります。ある高齢者は「手術が怖い」「病院が不安」と感じて高い緊張状態が続くことがあります。一方で、別の患者は「もう歳だから仕方ない」と受け入れられることもあります。
この違いは、ストレスが交感神経を活発にし、手術直後に「休息モード」に切り替えられるかどうかに影響します。睡眠には副交感神経の働きが必要で、ストレスが続くと入眠が難しくなることがあります。日本の研究では、術前に高いストレスを示した高齢者の71.4%が術後に「よく眠れなかった」と答え、低ストレスの群よりも有意に多かったとされています。
性格や認知スタイルの違い
性格や思考のスタイルも、術後の睡眠に影響します。たとえば、完璧主義の人は病室の環境や看護の対応に敏感で、不規則性に不安を感じやすいです。その結果、リラックスが難しくなり、眠りにくくなります。一方、楽観的で受容的な性格の人は、些細な違和感にも柔軟に対応でき、適応しやすいです。この違いは、ストレスホルモンであるコルチゾールの分泌にも影響し、高ストレスの人ほど夜間のコルチゾールが高く、睡眠の質が低下することがあります。
睡眠習慣と生活スタイルの影響
さらに、長年の「睡眠習慣」も重要な要因です。自宅で毎晩同じ時間に静かな環境で眠る高齢者は、病室の騒音や明るさに違和感を覚えやすいです。一方、長年ナイトワーカーだったり、テレビをつけっぱなしで寝ていた高齢者は、病室でも比較的適応しやすいです。研究によると、病室がうるさいと訴えた患者は入眠までの時間が長く、睡眠効率も低いことがわかっています。
痛みに対する耐性と訴えの違い
術後の睡眠障害の要因は「痛み」です。同じ手術でも、患者によって「痛みの訴え方」や「耐性」に個人差があります。「痛みは我慢すべき」と考える人は、眠れないほどの痛みがあっても訴えないことがあります。その結果、適切な鎮痛が遅れ、睡眠に影響が出ます。一方、「痛みはすぐに伝えるべき」と考える人は早く痛みの管理ができるため、睡眠も良好になります。
このように、フレイルの程度や手術条件が同じでも、睡眠に差が生まれる背景には、患者ごとの「心理的要因」「性格特性」「環境への適応力」「痛みへの対応」など、多くの要因が関わっています。これらの視点は、術後のケアを単なるモニタリングや薬の投与にとどめず、個別性を重視した対応が必要であることを示しています。患者が持つ「日常生活で培った習慣や考え方」が、入院環境や術後の回復にどのように影響するかに注目することで、より深く理解できるでしょう。
高齢者の手術後に良質な睡眠を得るための要因

高齢者が手術後に良い睡眠を得ることは、回復にとても重要です。しかし、同じ手術を受けた高齢者でも、術後の睡眠の質には個人差があります。これまでの研究から、熟睡できた高齢者にはいくつかの共通点や意外な影響因子があることがわかっています。
術前の睡眠状態と術後の睡眠の関連性
術前の睡眠状態が術後の睡眠に影響を与えることが報告されています。たとえば、術前に睡眠障害を抱えていた高齢者は、術後にせん妄を発症するリスクが高まるとされています。この研究では、術前の睡眠障害が術後の神経認知機能の回復遅延と関連していることが示されています。また、術前から良好な睡眠習慣を持つ高齢者は、術後も比較的安定した睡眠を維持できる傾向があります。
###術後の環境要因と睡眠の質
入院環境の変化も術後の睡眠に影響を及ぼします。特に高齢者は環境の変化に敏感で、病室の騒音や照明、他の患者の動きなどが睡眠を妨げる要因となります。看護研究においても、入院患者を対象とした睡眠評価が多く、睡眠への介入効果を検証するためには適切な評価が必要とされています。したがって、入院環境の整備や個別の対応が、術後の睡眠の質を向上させるために重要です。
術後の活動量と睡眠の質
術後の活動量も睡眠の質に影響します。手術を受けた高齢者の研究では、術後の体動制限が睡眠障害の要因となることが報告されています。また、日中の活動量が増えることで、夜の睡眠が導入しやすくなることも示されています。したがって、術後の早期離床や適度な運動が、睡眠の質を向上させる可能性があります。
意外な影響因子:光療法の効果
意外な影響因子として、光療法が挙げられます。光を使った介入を術後1日目から行うことで、生体リズムを整え、睡眠と覚醒のリズムの乱れを予防できる可能性があります。この研究では、光療法が術後せん妄の発症を回避する効果も期待されています。
これらの知見から、術前の睡眠状態の把握、入院環境の整備、術後の適切な活動促進、光療法の導入など、多角的なアプローチが高齢者の術後の睡眠の質を向上させるために重要であることがわかります。個々の患者に合わせたケアを提供することで、術後の回復をより良好なものにすることが期待されます。
高齢者の手術後の不眠とせん妄を防ぐための介入提案

高齢者が手術を受けた後に不眠やせん妄が発生することは、回復の過程で問題となっています。これらの問題を軽減するためには、医療現場での介入が必要です。以下に、現場で実施できる介入策を詳しく説明します。
術前評価と患者教育の強化
術前に患者の睡眠パターンや既存の睡眠障害の有無を評価することが重要です。これにより、術後の不眠リスクを予測し、適切な対策を講じることができます。また、患者に手術後の睡眠の変化やせん妄のリスクについて事前に説明することで、術後の不安を軽減することができます。
病室環境の最適化
入院環境を整えることは、術後の睡眠の質を向上させるために欠かせません。対策としては:
- 騒音の低減:病室内外の不要な音を最小限に抑えるため、スタッフの動線を見直したり、静音性の高い機器を導入したりします。
- 照明の調整:夜間は照明を落とし、昼間は自然光を取り入れることで、患者の体内時計を整えます。
- プライバシーの確保:カーテンやパーティションを使って、患者が安心して休める空間を提供します。
術後の早期離床と適度な運動の促進
手術後の早期離床は、血栓症の予防だけでなく、睡眠の質向上にも役立ちます。実践的には、手術翌日から座位を保ったり、歩行訓練を段階的に進めたりすることで、患者の体力回復をサポートします。また、日中の適度な活動が夜の睡眠を促進する効果も期待されます。
光療法の導入
生体リズムを整えるために、光療法が有効とされています。特に、朝に高照度の光を浴びることで体内時計が整い、夜の睡眠が改善される可能性があります。病室内で自然光を取り入れるか、必要に応じて専用の照明を使用することが考えられます。
多職種連携による個別ケアの実施
医師、看護師、理学療法士、作業療法士、栄養士など、さまざまな専門職が連携して、患者一人ひとりに合ったケアプランを作成・実施することが重要です。たとえば、栄養状態を改善することで全身の健康が向上し、結果的に睡眠の質も良くなる可能性があります。
患者・家族への情報提供とサポート
術後の不眠やせん妄に関する情報を患者や家族に提供し、理解を深めてもらうことで、症状が現れた際の早期対応が可能になります。また、家族が患者の状態を観察し、異常を感じた場合には迅速に医療スタッフに報告できる体制を整えることも大切です。
これらの介入策を現場で実践することで、高齢者の術後不眠やせん妄のリスクを低減し、回復過程をスムーズに進めることが期待されます。医療スタッフがそれぞれの役割を理解し、連携を深めることで、患者にとって最適なケアを提供できるようになります。
▼今回の記事を作成するにあたり、以下のサイト様の記事を参考にしました。

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