先日、大学時代の同じクラスの同窓会がありました。
小さな大学だったので同じ学部・学科で50人の1クラスでした。
その中でもキャンパス内以外に一緒に遊びにいったり、誰かの部屋に集まって飲んだりした仲間の10人ぐらいの集まりでした。
大学を卒業して約25年過ぎて、大学卒業以来で会った友人もいました。
不思議なもので50歳を超えたおじさん・おばさんで会社ではそれなりの仕事をしているはずなのに、集まってみると、大学の食堂のテーブルに集まって話をしていた頃と変わらない雰囲気だったのです。
違うのは年齢を積んだことにより、当時わだかまりのあった人との事の内容をすっかり忘れて、
「当時は何かわからないけどわだかまりがあったよね~」
って話しているんです。
参加したみんなはとても楽しかったようで、
「またやろう!」
という意見はでるのですが、幹事をするのはめんどくさいようで、こっちに「いつやる?」と訊いてくるんです。
こっちとしても幹事をするのは同じように面倒なんですけどね。
ちょっと考えて、
「たまたまだけど、今年は4年に1度のうるう年だし、オリンピックもワールドカップも4年に1度だから4年後はどう?」
と提案したら、なぜかすんなり受け入れられました。
何か「4年周期」って意味があるのかもしれませんね。
オリンピックが4年に1度の理由について
諸説あるようですが、オリンピックは実際には古代ギリシャの月暦(月の周期、つまり新月から次の新月までの時間)に基づいて、4年ごとではなく8年ごとに開催されていたそうです。
しかし、それが4年ごとに変更された理由は、古代ギリシャの「オリンピアード」の概念に由来しているそうです。
「オリンピアード」は古代ギリシャの時間の単位で、1つのオリンピアードは4年間を意味するそうです。
この単位は、オリンピックが初めて開催された地名「オリンピア」にちなんで名付けられたようです。
オリンピアードは、オリンピック競技が行われる期間を示すために使われ、古代ギリシャでは、新しいオリンピアードが始まるとその年が「第1年」と記録され、次のオリンピックが開催されるまでの4年間が数えられたそうです。
したがって、オリンピックの間隔はこのオリンピアード、つまり4年間と同じになったそうです。
ワールドカップが4年に1度の理由について
サッカーのワールドカップについて調べてました。
サッカーのワールドカップは、1924年と1928年に開催されたオリンピックでサッカーが大成功を収めたことから、FIFAはサッカーのワールドカップを開催することを決意し、当時は夏に行われていたオリンピックと周期が二年ずれるようにして1930年からワールドカップを始めたそうです。
元々はオリンピックを意識して作られた大会だったことから、オリンピックと同じ4年に一度という周期で開催されるようになったそうです。
おそらくは、伝統のあるオリンピックと同じ4年周期にすることで、ワールドカップの伝統と開催までの期待感を維持しようとしたのではないでしょうか?
別の側面として、サッカーのワールドカップは、準備には時間と労力が必要です。イベントの準備、選手の育成、予選の実施、また、前回大会後の選手の回復やチームの再編成にも時間は必要だったのではないかと思います。
同窓会を4年に1度にすることについて
どうでもいいといえばそれまでなのですが、考えてみました。
「4年」という周期について、特別な意味や科学的根拠、明確な理由は存在しないようです。どちらかといえば、当時の社会的や宗教的な事情が強そうです。
なので大学の同窓会を4年ごとしても何の効果も無いと思いますし、むしろ全く問題ないと思います。
実際、この周期で考えてみると、ちょうど友人たちとの絆を維持できて、お互いの人生の進行を共有することができそうな期間になりそうな気がします。
4年という期間は、人々が新しい経験を積み、新たな話題を共有するのに十分な時間と思います。また、オリンピックやワールドカップの伝統に便乗して、長すぎず短すぎないこの期間は、参加者が次回の同窓会を楽しみに待つのにちょうど良い間隔とも言えるのではないでしょうか?
まとめ
ただ、50歳の年齢から4年後にすると、誰か物理的な欠員がでるのではないか皆で笑いながら心配してました。
あとは、親の介護理由による早退などもあるかもしれませんね。